それが、なぜか完全に隠ぺいされてしまっているのです。しかし、直感による推測は十分可能です。各種の神代や古代の遺跡や遺物が豊富に残っているし、不十分ながら古事記や日本書紀の伝承もあるからです。今から三千年以上昔の神代、天皇(当時の呼び名は不明なので仮にこう呼ぶ)は「神」でした。ただし、この「神」は「覚者」のことです。宇宙や人生の真理や真実に目覚めた覚醒人間のことです。くだらない宗教屋が無知な大衆だましに乱用する、実在しもしない「神さま仏さま」のことでは決してありません。余談かつ恐縮ながら、言わないと話が前へ進みませんので言いますが、私播磨屋助次郎はその「覚者」です。ウソではありません。拙著『真実』か、その電子ブック版を読んでみてください。よく分かるはずです。話を本題にもどします。国の唯一絶対の中心者が、そんな覚者天皇(神皇)であった神代の日本は、名実ともに「神の国」だったのです。争いはおろか競争の概念すら全くない、文字どおりの「和の国」、すなわち仏典が言う「極楽浄土」、あるいはバイブルが言う「エデンの楽園」そのものだったのです。そのわけは、覚者天皇が示す大自然の根本法則「個は全体のために・全体は個のために」が、国の隅々にまできちんと周知徹底されていたからです。ところがいつの間にか(現皇室の初代神武天皇からか)、宇宙や人生の真理や真実に暗い人間天皇(人皇)に転落し、日本は少しずつ少しずつ「神の国」か〇神代、日本は「神の国」であった5
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