あの豊臣秀吉が開発した生野銀山で有名な兵庫県生野町(江戸時代には徳川幕府の天領)で、幕末の文久年間(1860年ごろ)に、初代播磨屋助次郎(現代表の私は五代目)が始めた油屋(灯明油の販売)がルーツです。その後紆余曲折を経て昭和23年に、クロバー製菓(株)として菓子製造業に転じ、私五代目播磨屋助次郎(本名 阿野拓夫)が入社した昭和46年から、おかき・せんべいの専業メーカーになりました。昭和60年に私が社長に就任し、それまでの卸売り販売を全面的に改めて、通信販売と直売店による消費者直接販売に切りかえました。併せて翌昭和61年には、全くの新会社(株)播磨屋本店を設立し、クロバー製菓の社員と業務及び各種設備を全面的に引き継ぎました。この大転換が、その後の飛躍的発展につながったものです。販売商品は、おかき・せんべい・もち等の米加工品を中心に、日本の伝統食品全般です。次の一文は、昭和61年の播磨屋本店設立時に制定したその経営綱領ですが、今日の「地球革命」を完全に見通しており、たかが37歳の若造がよくもまあと、私自身全く不思議でなりません。 我々は、世界人類の恒久的平和と真の幸せ実現を心から熱望し、その先達 たるべき聖使命を帯ぶ日本民族の、人間性並びに文化性の更なる向上発展 に貢献せんという、高邁にして無窮なる理想の追求を、久遠至上の経営目 的とする以下のページに、各種写真コンテンツと私播磨屋助次郎のプロフィールを紹介しておきます。「世直し企業」とか「日本一おかき処」を名乗っている理由の一端が、推察願えれば幸甚です。■ 播磨屋本店の沿革と概要19
元のページ ../index.html#20